発音のレッスンは思っていたのとは違った

 普通の人が持っている発音特化レッスンのイメージってどんな感じでしょう?私は、延々と繰り返す修行のようなイメージ。

 

 発音コンプレックスで自爆してしまった私は、自らレッスンを希望したものの、腰も引けて気も重いです。今度こそしっかり習得しなくては、という自分で設定したミッションに負けそうでした。この最難関を突破するにはどれだけの気力が必要なんだろう、と不安の沼を遊泳中。

 

 さて、レッスンが始まり、回を重ねていくうちに、意外な展開になりました。

 

 あまり苦しくないのです。

 いや、正確にいうと、何度も発声をチェックされて、修正されるのですから、苦しい部分もあります。何度も何度も繰り返すのは、修行といえば修行です。

 でも決定的に違うのは、忘れられないキーワードが満載。発音を理解しながら覚えられるとでも言えばいいのでしょうか。案外快適なのです。

 

 例えば私のメチャクチャな四声、今まで直される時は「一声は下がらないように」と指示されます。先生がお手本を聞かせてくれます。けれども、そのお手本と自分がどう違うのか全くわからないのです。全くわからないなりに、なんとなく真似て言ってみます。「いいですね」といわれる時もあれば、同じように言ったつもりが「違います」と言われる時も。四声の成功は『運』だとさえ思っていたくらいです。

 

 稲葉の指示はこうです。

 

 「一声、最後が少し下がりましたね、自分の目線より少し高い棚を拭くような感じで、最後まで一直線ですよ、はい、もう一度」

なるほど!

 

 「三声ちょっと上がりましたね、マンホールの蓋をグーっと押し込んでみるイメージで、もう一回言ってみましょう」

なるほど、なるほど。

 

 的確な表現で、四声への意識がグッと引き寄せられます。

 

 何が不思議って、自分の声調が上がっているか下がっているか、急に分かり出したのです。自分の四声が聞こえる初体験。どういうことなのでしょうか? いまだに謎です。