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嫌われていたわけではなく、見えていなかっただけ。

サイマルには通算10年くらい通いました。20代半ばと30代後半です。

 

20代は中国語のおかげでアジア映画の配給会社に職を得ることができましたが、その後、出産と子育てを経て長いブランクがあり、30代でサイマルに再挑戦した時、私の中国語力は仕事では到底使えないレベルにまで落ちていました。


当時のサイマルは(おそらく今もそうだと思いますが)、通訳養成クラスの先生方は現役の通訳者で、NHK講座を担当されていた大森喜久恵先生、中国語通訳の第一人者の塚本恵一先生など豪華な顔ぶれでした。

 

私が背伸びをして参加したワークショップは、同時通訳の技術を学ぶクラスでした。受講生は日本語ネイティブと中国語ネイティブが半数ずつ。1クラス20名くらいだったでしょうか。クラスメートは優秀な人ばかりでした。

 

塚本先生の授業でのこと。通訳課題を一人ずつ発表するのですが、一人終わるごとに先生が講評をしてくださいます。私の番が終わると先生は大抵、「がんばって。はい、次」と詳細な講評はなし。それもそのはず、私のパフォーマンスは毎回、最悪でした。準備が全く足りなかったのです。

 

決して安くない授業料を払い、良い設備を備えたスクールに通って、一流講師の授業を受けても、自己学習がなければ上達しません。

 

当時の私は中国語を舐めていたと思います。

「今は出産後で集中して取り組めないからうまくできないけど、この「やる気」は評価してもらえるはず。それに、私はその気になればできるし。」などと思っていた、確か。

 

塚本先生は素晴らしい先生で、先生の講義を受けられたことは、私にとって宝です。

そして、今なら良く分かります。彼は、準備しない人間が嫌いだったと思うのです。嫌い、というか、眼中になかったのだと思います。

 

先生は、恐らく、努力している人のためにより多くの時間を使いたかったのだと、今ならよく分かります。