一生懸命やってきたはずの中国語。それが全然中国語ではなかったと気づき、学ぶのと同じくらい一生懸命、軌道修正の道を探しました。自分の進むべき方向が分からなくなったのです。
そしてたどり着いた結論。どうせ辞めるなら、その前に楽しいことをしよう! どうせなら夢を叶えたい!ポジティブなのかネガティブなのか不明な領域。まさに、けもの道です。しかし、こう決めてから私の心は驚くほど軽くなりました。
念願の中国書の原文読破の夢には、個人的な条件が込められています。まず、大人の読む書籍であること。古典ではなく現代のもの。文学的過ぎないこと。そして、翻訳本が出ていないことです。
びっくりするほどのハードルの高さではありませんか。ジョギングを始めたばかりの主婦が、オリンピック候補になりたいんです、と臆面もなく言っているのも同然です。私にも分かっているのです。分かっているだけにちょっと困っています。
この夢の実現には、一緒に本を読んでくれる先生が絶対に必要なのです。そのためには、「ピン音も読めず、長文を読むのは、初めてです。単語も中国語検定4級程度かと。ですが、中国の書籍を一冊、一緒に読んでいただけませんか?」と言わなければなりません。
世間で中国語の教師をされている方は指導のプロです。最初の面接で「無理ですよ」と言われて断られるのは当然。「この人は正常な判断ができる人なのか?」「このレベルでこんなことを頼むとは」ひいては「中国語をバカにしていませんか?」と怒り出されたら‥もう、完全にフリーズ、あるいは即死。
しかし、今は21世紀。SNSの時代。どんな変わったオファーがあろうとも、聞く耳を持つ人が世界のどこかにいて、つながる可能性がある時代です。もともと変なことをお願いしているのに、変だと思われたくないと言う矛盾した考えを捨てれば良いことでした。
そして、スマホをポチポチ。神のような先生は、本当に見つかりました。
私は約束のカフェに不安と喜びと共に出かけて行きます。神様はコーヒを飲みながら、私を待っていて下さいました。(次回へ)
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