30年前の中国旅行と電信柱の風景

 30年近く前、結婚後まもなく中国を夫婦で旅をしたことがあります。

 

 当時は中国国内を外国人が自由に旅行することは原則禁止されていて、必ず届けを出し、外国人料金を払い、指定された宿に泊まり、電車を待つ待合室も別。貴賓室と呼ばれる赤い絨毯、赤い椅子、赤いカーテンの部屋で待機するよう案内されました。共産党のVIPが利用するらしき広々とした部屋で、所在なくお茶を飲んで電車を待っていたことを思い出します。

 

 初めて行った中国は何もかもが驚きの連続。思いがけない出会いや発見も多くありました。電車の車窓から見えた風景もそのひとつです。

 

 西に向かう列車は、街を抜けると乾いた大地の中を進み、敷かれた数千キロのレールの上を走っていきます。車内は人々のざわめき、時には怒鳴り声、荷物の山。一方、外の風景は地平線まで見通せそうな生命を感じられない砂漠の大地。その乾いた大地に一本の電線を繋ぐ電信柱が遠くに続いているのが見えるのです。

 

 何もない風景の中に、なんとか踏ん張って立っている電信柱。家もない、道路も見えない、人の姿を見かける事もない時間が何時間も過ぎて行く中、いつ外を見ても線路と並行して、電線と電信柱だけが点々と何百キロも繋がって来ているのです。木の電信柱は垂直に立っているものなど皆無。電線もところどころ垂れ下がっています。

 

 火星や月を思わせるようなダイナミックで圧倒的な風景が広がる車窓。その雄大な自然の中に倒れかかった電信柱があるだけで、砂漠という乾いた土地の厳しさがなんとリアルに伝わってくることか、と感じたことを覚えています。電信柱がなかったら砂漠に沈む夕日はただただ感動的だろうに、私が車窓から感じたのはもう少し複雑で寂寥感あふれるものでした。

 

 

 目覚ましい発展で中国のインフラ整備は進み、点々と立ちすくしていた木の電信柱も姿を消したに違いありません。中国も新幹線や飛行機でもっとスマートな移動をする時代。移動中はスマホ画面をもっぱら見つめるのが世界の人々の定番の過ごし方。何時間も電車に揺られ、車窓に流れる名のない場所の風景を眺めながら、あれこれ想った日々が懐かしいです