誰もが知っていて、誰もが知らない王羲之の話

 

 中国の有名な書家といえば王羲之ですよね。ではもうひとり挙げてください、と言われて、どのくらいの人が他の書家の名前を言えるのでしょう? 

 

 私は言えません。王羲之も教科書で覚えただけで、どんな字を書いた方なのかも知識ゼロ。ピカソの絵のように、分かる人には分かるといった類の、凡人の私には判別できないような字を書く人?と勝手に思い込んでいるくらい無知です。

 

 そんな折、「『王羲之と蘭亭の序』 という展覧会があるから見に行ったら?」と書家の方にすすめられました。

 

 書を見に行く!

 私の50有余年の人生でそんな雅やかなイベントは皆無でしたので、「恥ずかしながら、書の見方が分かりません。ご一緒させていただけますか?」と勇気を振り絞って頼んでみました。すると「私は何度も見ていますので、行きません。」ときっぱり断られました。無念です。

 

 じゃ、行かなくていいかな、と凡人魂がむくむくと持ち上がって来かけたところ、書家の先生が語ってくださったお話がなんと驚愕のエピソードでした。

 

 「王羲之の書って、この世に存在しないんですよね」と。ご存知でしたか?

 

 お話によると、王羲之を愛してやまなかった唐の太宗が、あらゆる手段を使ってほぼ全ての王羲之の書を手元に集めたそうです。今で言うコレクターですね。そのコレクター愛が強すぎて「死ぬ時は棺に入れて!」という命により、王羲之の全ての作品は皇帝と共に埋葬され、この世から消えてしまったそうなのです。

 

 なんと言うことでしょう! 

 

 しかし、ないはずの王羲之の書。いったい何を展示しているの?

 

 先生は続けます。「昔はコピー機がありませんからね、皆で王羲之の字を真似て書くんです。真似て書くと言っても一流の書家達は本当に素晴らしい完全なコピーを作るわけです。そのコピーの中でも、これこそは!と言う作品に権力者の印などが押されていたり、相当な傑作なのです」

 

 ふむふむ。

 

 「蘭亭の序はとついているのでわかると思いますが、蘭亭という場所で開いた宴の序文なんですよ。しかも酔っ払って書いた下書きなんです。酔っていてこのような字が書けるのか?さすが王羲之だ!と皆が驚いた作品なんですよ。」

 

 存在しない名作を千年以上経て、尚、書家が追い続けていると言う果てしない物語。中国の『書聖』王羲之。にわかに見に行きたくなりました。