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私に翼をくれた人たちの思い出

 約30年前、私は、社団法人中国研究所という研究機関の付属語学教室で中国語を習い始めました。同じ駅の向こう側には有名な日中学院がありました。日中学院の方が生徒数が多く、学校の規模も大きくて楽しそうなイベントも沢山あったのですが、なぜか子供のころからマジョリティよりマイノリティに憧れ、たのきんトリオよりさだまさしさんや布施明さんに入れあげていた、いつも少数派に属してきた私は、迷うことなく小規模で地味な中国研究所の方を選びました。中国語研修学校といいます。

 

 ここで、一番最初に発音を教えてくれたのは、A先生という日本人の先生です。1年次の担任は日本人の先生、2年次は中国人の先生でした。1年次は日本人のA先生が発音の作り方を日本語で教えてくれました。その他にも2~3名の中国人の先生方がかわるがわる音読や会話の授業を受け持ってくださっていました。

 

 中国の先生は、ほとんどがハルピン、北京の出身でした。当時、日中間の往来は今ほど多くはなく、国費留学生として来日している先生や残留孤児、または残留婦人のご家族として来日された先生が多かったと記憶しています。

 

 音読のテストは先生と一対一で向き合ってしました。一回でもつまってしまったら不合格。判定は厳しかったのですが、かと言って、中国の先生方から具体的な発音の作り方を教えてもらった思い出はありません。「先生のお手本をよく聴いて」その言葉は、まだ耳に残っています。子供が親がしゃべる様子を聴いて少しずつ言葉を覚えていく感じに似ていました。

 

 先生方は、私たちが上手に発音できると大きな声で「很好」と言って褒めてくださいました。ですから、「你好」と「再见」の次に覚えた中国語が「很好」です。

 

もし、また先生方に会えたら、ありったけの気持ちを込めて伝えます。「先生、私に中国語を教えてくれてありがとうございました。」「おかげで私は今も中国語が大好きです。」

 

 こんな個人的な思い出をブログに書いて、どなたに読んでいただけるのかわかりませんが、ブログを書いたこの時間は、私にとってとても有意義な時間になりました。初心忘るべからず。大切なことを思い出すことができました。

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コメント: 1
  • #1

    Sen (火曜日, 05 10月 2021 00:28)

    自分の原点を文章にできるのってすごいと思います! 
    ぼくも将来ふりかえった時に、人に語れるように今を生きます!
    っていうか、もう将来か⁈�